カルティエ

Cartier(カルティエ)

カルティエのレッドボックスにこめた、ふたりの永遠の愛の証。

1847年フランス・パリでの創業以来、王族御用達として名を馳せてきたカルティエ。ジュエリー、時計、レザーグッズなど数々のクリエイションを世に送り出し、今もなお世界中の人々を魅了し続けている。

Brand Story ブランドストーリー

ヨーロッパ各国の王室の御用達を拝命し、“宝石商の王”と讃えられたジュエリーメゾン。プラチナを取り入れたダイヤモンド・ジュエリーをいち早く発表するなど、ジュエリーの発展にも大いに貢献した。
ヨーロッパの王侯貴族に愛されて発展
カルティエの創業は1847年のこと。創業者であるルイ=フランソワ・カルティエは宝石商アドルフ・ピカールの工房で修業を積み、28歳という若さで師の工房を引き継ぐことになった。それがパリのモントルゲイユ通りの店だった。そして、1853年には、ヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地に自分の店を構えるに至った。

カルティエはファッションに敏感な王侯貴族の支持を得て、名声を高めていく。当時、ファッション・リーダーとして名を馳せていたフランス皇帝ナポレオン3世の后、ユウジェニー皇后も顧客となり、世界的なジュエラーへと成長を遂げていく。

1899年には創業者ルイ=フランソワの孫であるルイ・カルティエが経営に加わり、ラ・ペ通り13番地に移転。この通りは一流ブティックが軒を連ねる世界的に有名なファッション・ストリートであり、カルティエは以来、本店をずっとここに構えることとなった。
プラチナを使用した繊細で画期的なジュエリー
カルティエの名声を確実なものにしたのがガーランド・スタイルのジュエリーだ。ガーランドとは花と葉を用いた花冠のこと。ルイ16世様式から派生したものだが、ルイ・カルティエが見事に復活させたのだ。これは世界中の王侯貴族から大絶賛を浴びた。

カルティエのガーランド・スタイルに大いに力を与えたのがプラチナだった。カルティエでは早い時期からプラチナに興味を持ち、研究を続けていた。プラチナはそのグレーがかった白の美しさばかりではなく、酸化もにしくい上に、軽さと強度を兼ね備えており、ダイヤモンドの光を際立たせる性質をもっている事から、ダイヤモンド・ジュエリー用の金属としては最適だった。

ルイ・カルティエは世界で初めてジュエリーに本格的にプラチナを用い、繊細で芸術的な作品を次から次へと生み出した。プラチナによってダイヤモンドをより美しく見せるジュエリーを生み出したカルティエは、イギリスのエドワード7世(当時はウェールズ王子)に「王の宝石商、宝石商の王」と称賛された。
セレブを魅了した数々のハイジュエリー
さまざまなエピソードを持ち、現在はアメリカのスミソニアン博物館に展示されているかの「ホープダイヤモンド」も、1910年にピエール・カルティエの手に渡っている。カルティエではこれに装飾をし直してアメリカ社交界のエヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに販売したことでも話題を呼んだ。また、世界で初めてバゲットカットのダイヤモンドを製作したのもこの頃だ。

さらに、リスト・ウォッチの重要性を予感し、次々と新しい腕時計を発表していく。ブラジルの飛行家、アルベルト・サントス=デュモンのリクエストにより作られた「サントス」ウォッチや、第一次世界大戦の連合軍のタンク(戦車)に乗った連合軍とフランス軍の戦車軍団の栄誉を讃えた「タンク」ウォッチなど、いまも愛される時計はこの時代に生み出された。

1933年にはジャンヌ・トゥーサンがハイジュエリー部門の責任者となり、顧客名簿に名を連ねる世界の王侯貴族のために芸術性にあふれるジュエリーを製作した。そのうちのひとつが「パンテール」。パンテール(パンサー)をモチーフにしたこのコレクションは一世を風靡し、ウインザー公爵夫人が1949年に注文した152.35カラットのカシミールサファイアをプラチナにセットしたパンテールのブローチはあまりにも有名だ。
また、ハリウッド女優からモナコ公妃となったグレース・ケリーがレーニエ大公から贈られたエンゲージメントリングもカルティエのもの。この他にも、多数のジュエリーをカルティエから購入している。

160年以上もの間、世界中の王室やセレブリティを魅了するジュエリーを作り続けてきたカルティエ。その高い芸術性と確かな品質は現代にも受け継がれ、多くの人々に愛されている。