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日本の披露宴の歴史
更新:2017/9/9 10:53
フィオナのブログにお越し頂きありがとうございます
堅苦しいタイトルですがお付き合いください
日本で結婚披露宴のような形式物の始まりは平安時代のころからです。
この時期の結婚のスタイルは、男性が女性の家に通うという通い婚が一般的でした。
結婚の意思がある場合は、三日連続で女性の家に通わなければいけませんでした。
その間女性は男性をもてなし三日目に、露顕という宴会を開いていました。
この宴会が、今でいう結婚披露宴に当たると言われています。
別名婿取り婚ともいわれ、女性の自宅にてお料理を用意して、親せきを招き新郎をお披露目していました。
その後中世から近世にかけて、反対に嫁入り婚という形に変化していきます。
それは、嫁が男性の家の一員として認められて、嫁入りすることで結婚が成立しました。
この時期から結婚は家と家の結びつきという考え方が重視されてきました。
そのため男性の自宅にて両家のご両親や親族を招いて、結婚披露宴を行うようになりました。
明治時代になると、法律で家制度が制定されました。
これによって戸籍制度もでき、基本的に結婚は嫁入り婚が常識とされました。
今まではどちらか一方の家に入らなければいけないと定められていたのが、日本国憲法の家族法により両性の合意のみとされました。
そのため夫婦となった場合、新たに独立した家族形成へと変化していきました。
これによりお見合いが減って、恋愛家婚が増えるようになりました。
結婚後も独立した夫婦が増えたことで、核家族が多くなりました。
家に入ることが強制ではなくなったため、この時期から結婚披露宴を自宅で行うということは少なくなりました。
その代わりに、ホテルや、結婚式場、レストランなどを利用して、結婚披露宴を行うようになりました。
そして現代の結婚披露宴に関して、ホテルや結婚式場はもちろんのこと、レストランでの貸し切り、ゲストハウス、海外ウェディングなど多くの選択肢があります。
何度でも新郎新婦がどのような形で行いたいのか選ぶような形になります。
もちろん新郎新婦の両親の意見なども反映されますが、決定権は新郎新婦が持っていることが多いです。
ふぅー
かなり長くなりましたがお付き合い頂きありがとうございます
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