命令婚にデートは極秘!江戸時代の恋愛と結婚
2017/10/26 11:00
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いつの時代も、女性の恋する気持ちは変わりませんよね。江戸時代はどうだったんでしょうか。戦国の世が終わり平和が長く続いた江戸時代は、歌舞伎などの娯楽も盛んになり、豊かな文化が花開きました。江戸女子の恋愛と結婚は、現代に生きる私たちといったいどれくらい違うのでしょうか。江戸衣裳と暮らし研究家の菊地ひと美先生に伺いました。
「江戸時代と現代は、大きく異なります。まず江戸時代の結婚は“身分が同格”というのが基本です。武家や商家の中上層では、特にこの同格であることが重視されました。次に、現代のように結婚相手を見てから選べません。親子でさえ上下の縦関係(家父長制)があったため、武家なら上司や親から、商家や一般庶民は親からの命令婚でした。
さらに恋愛に対する幕府の処置も厳しく、縁談の決まった娘と密通した男は江戸を追放、娘は髪をそって親元へ引き渡されました。
ちなみに江戸娘の結婚適齢期は十代です(19歳頃まで)。自由な恋愛はできない時代でしたが、男女共に恋心を持つ年頃であったのは今と変わりません」
「結婚がこのような感じなので、デートはできません。『誰かと会っている』という変なうわさを立てられると、縁談にも響きます。江戸では男女の2人連れは基本無理なので、街を歩くときは必ず男連れ、女連れ(奉公人と一緒など)になります。そのため現代のように恋人同士が一緒に外出したり、しゃれたレストランで食事をしたりはできませんでした。成人男女が会うことは好ましくない“密会”と呼ばれ、料理茶屋、あんみつ屋や裏稼業の水茶屋、夜の暗がりでこっそり会うことが多かったようです。
恋の始まりとして、好意を伝えるには“付文(つけぶみ)/手紙”が多かったようです。文の渡し方としては、つてを通して渡すか、娘の袖の袂(たもと)へ投げ込みます。相手から返信があれば成功です。その後は隠れて文通などを続けます」
「男女2人では公のデートはしにくいため、密会になりますが、商家の恋人が料理茶屋(富家でないと入れない)で密会する場合、お嬢さまは季節の花柄などの着物を2,3枚重ね、色柄を見せておしゃれにした大振り袖“地面に袂(たもと)が付きそうなほど長い振り袖”姿でした。お嬢さまは普段着も大振り袖ですが、夏なら絣(かすり)、冬なら縞物(しまもの)など、少しラフな素材です。
デートのときは花の裾模様など、特別注文の染めの生地でした。大振り袖の下に2、3枚重ねて着る中着にもこだわり、普段は朱の無地などですが、デートのときは好みの柄(小花や小紋など)にしていたようです。髪飾りも普段は赤布とくし、棒のかんざし1,2本くらいのところ、デートでは少女らしく小花の丸い固まりの下に房を垂らした花かんざしや、赤い布飾りやくしを挿したりして、かわいさを強調していました。
商家の息子の方は絹地の上等なしま柄などに、髷(まげ)も奇麗に結いたてて、ブランド物の煙草入れ(たばこいれ)などを持っていました」
「武家や商家と比べると、まだ少しだけ恋愛の自由があった庶民は、近しい人と恋仲になったようですが、そう簡単には会えません。そこで相手の男子や娘が通りすがりに出会えるよう、偶然のチャンスを待ちます。子どもを借りてきて、あやす口実で外歩きをする。妹を夕涼みに誘うなどの方法がありました。
現代に例えると、偶然を装って学校や仕事帰りに待ち伏せするといった感じでしょうか。庶民の江戸のデート場所といえば、夕涼みや近所の蛍狩り、神社の境内などでした」
「武家、商家、庶民とも身分を問わず、親からの命令婚なので、基本“お見合い”はなくすぐ結婚です。当日の結婚式の時に、初めて相手の顔を見ます。現代からみるとビックリですが、大正時代の頃までこの風習のままでした。第2次世界大戦後、少しずつ個人主義になっていって、“恋愛”が現われてきます。
商家などの民間で、例外として相手の顔を見ることがあっても、一応確認したという程度で、通常は断れませんでした。お相手の格や資産などは調査してあり、相手の男子の能力も含めて、結婚は決定済みで顔だけを確認していたのです」
「江戸時代の武家や商家(富家)での祝言が、現代の和風結婚式の原型となっています。花嫁は輿(こし)に乗り花嫁行列で男性の家(婚家)に向かい、夜に祝言が始まります。祝言は婚家の床の間付きの座敷で行われます。現代の結婚式場のようなものはなく、貸し座敷も使わず、必ず婚家で祝言を挙げました。
式にはふたりと三三九度の杯事の人たちだけが立ち会います。つまり花嫁が婚家先へ行き、初めて会うのは花婿の男性。この時初めてお互いが顔を見ることになるのです。男性の両親や親族と会うのは、式が終わったその後になります。
ちなみに披露宴は現代では両家揃って始まりますが、江戸では両家は並びません。男性の家に嫁ぐので、男の親族のみが出席します。後日、嫁の実家で再度披露の席を持つのです」
「現代の花嫁、花婿の和装は、江戸時代の武家や商家のスタイルと同じです。この頃の花嫁の礼装は、白無垢の衣裳を何枚も着重ねて、一番上に白の打ち掛けを羽織ります。白絹の帯に履き物は厚めの草履。髪飾りは鼈甲(べっこう)のかんざしなどを挿し、綿帽子をかぶります。花婿は武家であれば身分に応じた格の礼装をします。民間・商家の花婿は、黒紋付きの羽織、はかまスタイルとなります。
江戸時代の花嫁は1回、お色直しをします。白から赤地に豪華な刺しゅう、総模様の入った着物、打ち掛けなどへ変えます。白という礼装・非日常から色のある日常へ変わるという意味でしょうか」
江戸時代と現代で大きく違うことが多い一方で、結婚式の和装の礼装がほとんど同じというのはなんだか不思議ですね。
現代よりも恋愛や結婚が自由ではなかった江戸時代は、簡単に会えないからこそ、ふたりの気持ちがさらに盛り上がったような気もします。LINEなどで常につながっていられなかった江戸時代は、ふたりが会えることがものすごく貴重なひとときになっていたことでしょう。(ぱう)
【取材協力】
菊地ひと美さん
江戸衣裳と暮らし研究家。衣裳デザイナーを経て、早稲田大学の一般講座で10年ほど学びつつ、江戸の著作を発表。文と絵で著し20年がたつ。 江戸の絵は、現在江戸東京博物館正門前の外通路に、拡大版で展示中。また絵巻はローマなどの国立美術館で展覧され、国内では丸善・本店にて個展を開催。著書『江戸衣装図鑑』(東京堂出版)、『江戸の暮らし図鑑』(東京堂出版)、『イラストで見る 花の大江戸風俗案内』(新潮文庫)他多数
江戸時代の結婚は、親や上司が相手を決める「命令婚」
「江戸時代と現代は、大きく異なります。まず江戸時代の結婚は“身分が同格”というのが基本です。武家や商家の中上層では、特にこの同格であることが重視されました。次に、現代のように結婚相手を見てから選べません。親子でさえ上下の縦関係(家父長制)があったため、武家なら上司や親から、商家や一般庶民は親からの命令婚でした。
さらに恋愛に対する幕府の処置も厳しく、縁談の決まった娘と密通した男は江戸を追放、娘は髪をそって親元へ引き渡されました。
ちなみに江戸娘の結婚適齢期は十代です(19歳頃まで)。自由な恋愛はできない時代でしたが、男女共に恋心を持つ年頃であったのは今と変わりません」
江戸時代のデートはこっそり行うものだった!
「結婚がこのような感じなので、デートはできません。『誰かと会っている』という変なうわさを立てられると、縁談にも響きます。江戸では男女の2人連れは基本無理なので、街を歩くときは必ず男連れ、女連れ(奉公人と一緒など)になります。そのため現代のように恋人同士が一緒に外出したり、しゃれたレストランで食事をしたりはできませんでした。成人男女が会うことは好ましくない“密会”と呼ばれ、料理茶屋、あんみつ屋や裏稼業の水茶屋、夜の暗がりでこっそり会うことが多かったようです。
恋の始まりとして、好意を伝えるには“付文(つけぶみ)/手紙”が多かったようです。文の渡し方としては、つてを通して渡すか、娘の袖の袂(たもと)へ投げ込みます。相手から返信があれば成功です。その後は隠れて文通などを続けます」
江戸時代のデート(密会)でも、女子はかわいらしくおめかし!
「男女2人では公のデートはしにくいため、密会になりますが、商家の恋人が料理茶屋(富家でないと入れない)で密会する場合、お嬢さまは季節の花柄などの着物を2,3枚重ね、色柄を見せておしゃれにした大振り袖“地面に袂(たもと)が付きそうなほど長い振り袖”姿でした。お嬢さまは普段着も大振り袖ですが、夏なら絣(かすり)、冬なら縞物(しまもの)など、少しラフな素材です。
デートのときは花の裾模様など、特別注文の染めの生地でした。大振り袖の下に2、3枚重ねて着る中着にもこだわり、普段は朱の無地などですが、デートのときは好みの柄(小花や小紋など)にしていたようです。髪飾りも普段は赤布とくし、棒のかんざし1,2本くらいのところ、デートでは少女らしく小花の丸い固まりの下に房を垂らした花かんざしや、赤い布飾りやくしを挿したりして、かわいさを強調していました。
商家の息子の方は絹地の上等なしま柄などに、髷(まげ)も奇麗に結いたてて、ブランド物の煙草入れ(たばこいれ)などを持っていました」
庶民は偶然を装って待ち伏せし、デートへつなげる!
「武家や商家と比べると、まだ少しだけ恋愛の自由があった庶民は、近しい人と恋仲になったようですが、そう簡単には会えません。そこで相手の男子や娘が通りすがりに出会えるよう、偶然のチャンスを待ちます。子どもを借りてきて、あやす口実で外歩きをする。妹を夕涼みに誘うなどの方法がありました。
現代に例えると、偶然を装って学校や仕事帰りに待ち伏せするといった感じでしょうか。庶民の江戸のデート場所といえば、夕涼みや近所の蛍狩り、神社の境内などでした」
意外!江戸時代にお見合いはなかった?
「武家、商家、庶民とも身分を問わず、親からの命令婚なので、基本“お見合い”はなくすぐ結婚です。当日の結婚式の時に、初めて相手の顔を見ます。現代からみるとビックリですが、大正時代の頃までこの風習のままでした。第2次世界大戦後、少しずつ個人主義になっていって、“恋愛”が現われてきます。
商家などの民間で、例外として相手の顔を見ることがあっても、一応確認したという程度で、通常は断れませんでした。お相手の格や資産などは調査してあり、相手の男子の能力も含めて、結婚は決定済みで顔だけを確認していたのです」
江戸時代は、結婚式で初めてお互いの顔を確認!
「江戸時代の武家や商家(富家)での祝言が、現代の和風結婚式の原型となっています。花嫁は輿(こし)に乗り花嫁行列で男性の家(婚家)に向かい、夜に祝言が始まります。祝言は婚家の床の間付きの座敷で行われます。現代の結婚式場のようなものはなく、貸し座敷も使わず、必ず婚家で祝言を挙げました。
式にはふたりと三三九度の杯事の人たちだけが立ち会います。つまり花嫁が婚家先へ行き、初めて会うのは花婿の男性。この時初めてお互いが顔を見ることになるのです。男性の両親や親族と会うのは、式が終わったその後になります。
ちなみに披露宴は現代では両家揃って始まりますが、江戸では両家は並びません。男性の家に嫁ぐので、男の親族のみが出席します。後日、嫁の実家で再度披露の席を持つのです」
現代の花嫁、花婿の和装の礼服は江戸時代と同じ
「現代の花嫁、花婿の和装は、江戸時代の武家や商家のスタイルと同じです。この頃の花嫁の礼装は、白無垢の衣裳を何枚も着重ねて、一番上に白の打ち掛けを羽織ります。白絹の帯に履き物は厚めの草履。髪飾りは鼈甲(べっこう)のかんざしなどを挿し、綿帽子をかぶります。花婿は武家であれば身分に応じた格の礼装をします。民間・商家の花婿は、黒紋付きの羽織、はかまスタイルとなります。
江戸時代の花嫁は1回、お色直しをします。白から赤地に豪華な刺しゅう、総模様の入った着物、打ち掛けなどへ変えます。白という礼装・非日常から色のある日常へ変わるという意味でしょうか」
江戸時代と現代で大きく違うことが多い一方で、結婚式の和装の礼装がほとんど同じというのはなんだか不思議ですね。
現代よりも恋愛や結婚が自由ではなかった江戸時代は、簡単に会えないからこそ、ふたりの気持ちがさらに盛り上がったような気もします。LINEなどで常につながっていられなかった江戸時代は、ふたりが会えることがものすごく貴重なひとときになっていたことでしょう。(ぱう)
【取材協力】
菊地ひと美さん
江戸衣裳と暮らし研究家。衣裳デザイナーを経て、早稲田大学の一般講座で10年ほど学びつつ、江戸の著作を発表。文と絵で著し20年がたつ。 江戸の絵は、現在江戸東京博物館正門前の外通路に、拡大版で展示中。また絵巻はローマなどの国立美術館で展覧され、国内では丸善・本店にて個展を開催。著書『江戸衣装図鑑』(東京堂出版)、『江戸の暮らし図鑑』(東京堂出版)、『イラストで見る 花の大江戸風俗案内』(新潮文庫)他多数